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長野地方裁判所 昭和25年(行)18号 判決

原告 木下広野

被告 国・長野県知事・長野県農地委員会・本郷村農地委員会

一、主  文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「被告本郷村農地委員会、長野県農地委員会及び国は別紙目録記載の土地に対する農地買収計画は無効なることを夫々確認する。被告長野県知事は、別紙目録記載の土地に対する農地買収計画により発した買収令書は無効なることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める旨を申し立て、その請求原因として、

(一)  昭和二十五年三月三十日附長野県々報号外に、自作農創設特別措置法第三条の規定によつて買収した農地について所有者不明その他の理由で買収令書を交付出来なかつたものが公告されたが、その中に原告所有の別紙目録記載の土地が登載されて居る。右号外は同年五月六日本郷村役場に送達されたが原告は最近に至つて始めて右の事実を知つたものである。右号外によれば別紙目録記載の土地の買収時期は昭和二十二年十二月二日とされて居るが、当時原告は本郷村農地委員であつて、長野県東筑摩郡本郷村大字横田三百八十一番地に住宅を有し、住所が明瞭であるにも拘らず買収令書が交付されなかつたのである。加之、本件農地買収については、当時の農地委員会の正規の審議決議を経ることなく買収計画を樹て、公告も縦覧に供した事実もない。

(二)  本件農地買収計画は原告を昭和二十年十一月二十三日現在に於ける不在地主となし、その小作地として本件農地を買収したことになつて居るが、原告は右年月日当時は在村地主である。即ち原告は多年東京都三鷹市下連雀に住んで居たが、今次戦争が激しくなつて、原告の家族(殊に母ハク)は昭和十九年七月頃既に本郷村に移転し、原告も昭和二十年八月に本郷村に移転帰農し、爾来農耕に従事して来たもので、被告本郷村農地委員会もこの事実を承認し昭和二十二年二月に行つた農地調査に於ける調査表にも、本郷村横田字宮前三百九十番地畑五畝二十一歩外畑五筆合計約二反八畝を、昭和二十年十一月二十三日現在に於ける原告の自作地として記載したものである。然るに他面原告を不在地主とするのは取扱が矛盾するものである。尤も原告の主食等の配給関係は都合により昭和二十年八月以後も暫く前記東京都の方で受けて居つたが、配給関係の移動手続が遅れたとしても、之は住居の移転とは必ずしも一致するものではなく、昭和二十年八月その生活の本拠を本郷村の現住居に移転して農業に従事して来た事実に変りはない。

(三)  別紙目録記載の農地中、1乃至4の土地は原告住居の家敷続きで訴外木下茂に管理を託したことがあるだけで、原告の自作地である。即ちこの四筆の農地については、原告は昭和三年頃より昭和二十年八月本郷村に移転するまでの不在中、原告の遠縁に当る木下茂に管理の意味で耕作させて置いたもので、原告は同人に右の外原告所有の全小作地等について小作料取立其の他の一切の管理を託し、之等の管理料として右土地の収穫物を充て、その収支を明らかにして置いたものである。尚右管理については管理料の外養蚕具を無料で提供したり、管理上必要との理由で自転車二台も購入してやつたり、更に木下茂の次男晴光が松本商業学校に入学するについて、その全在学期間の授業料まで支払つてやつた様な次第である。而して原告は本郷村に帰還した後、右四筆の内、3の農地の半分三畝二十六歩を直接自ら耕作して来たから、昭和二十年十一月二十三日現在も右農地は原告が直接耕して居たわけである。何れにしても右四筆は原告の自作地であるのに本件買収計画では之を小作地として取扱つて居る。

別紙目録記載の農地中、右四筆以外は何れも小作地であるが、原告は在村地主であるから法定保有面積の八反歩は少なくとも買収出来ない筈である。

以上何れの理由によつても本件農地買収計画は違法無効であり、従つて右買収計画によつて発せられた買収令書も無効であると謂わなければならない。仍て原告は、被告本郷村農地委員会、長野県農地委員会及び国に対しては右買収計画の無効なることの確認を、被告長野県知事に対しては右買収令書の無効なることの確認を夫々求める為本訴請求に及んだと陳述し、被告本郷村農地委員会、長野県農地委員会及び長野県知事の抗弁を否認した。(立証省略)

被告本郷村農地委員会、長野県農地委員会、及び長野県知事各指定代表者は、本案前の抗弁として「本件訴を却下する」との判決を求め、その理由として、行政事件訴訟特例法第三条により、被告等は自分が為した行政処分の取消又は変更の訴の被告とはなり得るが、本件訴の様な買収行為の無効を確認する訴の被告とはなり得ない。抑々国の行政行為の権利主体はあくまでも国であつて個々の行政庁はその執行機関としてその行政行為をするに過ぎないものであるからそれらの行為に対する訴の当事者は理論的に云えばすべて国である。然し行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴に於ては行政処分そのものの適法性を争うものであるから、必ずしも権利主体としての国を被告とするの要はなく、むしろ国の機関として直接処分をした行政庁に形式的当事者能力を認め、これを被告として攻撃防禦の方法を尽させることが、争いの性質上裁判の迅速と適正とを期する為適当と認められるので、特に行政事件訴訟特例法を設け、その特例を認めたのである。故に行政処分の無効確認を求める本件訴の如きは、行政庁を被告とすべく特例の認められて居るものではないから、その被告は当然権利主体である国であるべきであつて、被告等は当事者たるの適格を持たない。殊に長野県農地委員会の如きは本件買収について何等の行政処分をもして居ないのであるから、之を被告として提起した本件訴は全く不適法である。

以上の理由により本件訴は何れも不適法として却下さるべきものであると陳べ、本案については、被告四名各指定代表者は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張事実中、

(一)については、原告主張の如く昭和二十五年三月三十日附長野県報号外にその主張の如き公告の記載のあること、原告が昭和二十二年十二月二日当時本郷村に居住して居たことは認めるが、右号外が本郷村役場に受附けられた年月日及び原告が之を知つた時期は不知、其の余の原告主張の事実は何れも之を否認する。被告本郷村農地委員会は本件農地を何れも昭和二十年十一月二十三日規在に於て不在地主の小作地として昭和二十一年法律第四十三号自作農創設特別措置法第三条第一項第一号、同法附則第二項によつて昭和二十二年十月二十八日買収計画を樹立し、同年十一月一日公告すると共に同日より十日間之を縦覧に供したもので、原告はその縦覧期間内である同年十一月八日に三件、同年十一月十日に一件、合計四件の異議の申立を為し、而して十一月八日附申立の三件中の一件は本件繋争土地即ち別紙目録記載の農地中3、6、12、13、14、15、18の各土地に関係するもので、右四件の異議は同年十一月十一日の農地委員会に於て一部認容の決定があり、その決定通知は同月十三日附書面を以て原告に対して発せられた。その後原告より訴願の提起を見ないで、該計画は同年十二月二日被告長野県農地委員会の承認を受け、その結果被告長野県知事より同日附を以て適法なる買収令書が発せられたものである。

以上の様に本件買収手続は総て適法に為され、その買収は確定したのであるが、或る手違いから買収令書の交付が出来なかつたものとして、前述の如き県報号外の公告が為されたものである。即ち詳述すれば買収令書を原告に交付した際、右令書について居た受領証用紙及び委任状用紙(農地の対価及び報償金の受領方を日本勧業銀行に委任するもの)を切取つて、それに原告の署名捺印を得て受取つたのであるが、恰もその頃長野県庁の火災によつて農地部も類焼し、書類の紛乱を来たし、偶々右受領証及び委任状が見当らなかつたので、当時の方針に従つて一応買収令書の送達が為されて居ない虞れあるものとして、全部県報に前記の如き公告の手続をとつたものである。然るに其の後委任状の方は勧業銀行に保管されて居ることが判明し(乙第一号証)、従つて受領証の方は現在なお発見されるに至らないが、右委任状がある以上原告に買収令書が送達されて居ることは疑いなく、従つて右県報公告は全く不要なことをしたことになるだけであつて、公告自体特別な効力を生ずるものではなく、即ち之が為有効に成立した前記買収手続が何等の影響を受ける謂われはないのである。

(二)については、本件農地買収計画に於ては、本件土地全部を昭和二十年十一月二十三日現在に於ける不在地主の小作地として買収したものであることは上述の通りであるが、原告がその当時在村地主であるとの主張は否認する。原告は当時は不在地主で、理学博士、高等農林学校教授等俸給生活者として昭和二十二年二月七日まで東京都三鷹市下連雀に居住して居たものである。而して原告は本郷村に帰つて居住することになつて後、農地委員として昭和二十三年六月二十三日の同村農地委員会々議の席上、自ら不在地主であることを認めて居ることは、当時の議事録(乙第八号証)によつても明らかであるのに、今に至つて斯かる主張を為すのは甚だしい牽強附会である。又被告本郷村農地委員会が原告主張の六筆の農地を原告の自作地として認めたことは事実であるが、それは右の内五筆は昭和二十年夏頃から原告の家族が耕作して居たり、一部は当時原告の家屋の借家人であつた松本医専校長竹内氏が自給菜園として使用して居たが、右竹内校長は終戦後他県に転じ右菜園を原告の家族に引渡した事実から、原告自身が直接耕作して居たわけではないが、その家族の耕作して居たことを認めて自作地と看做すことにしたものであり、又残りの一筆は小作人であつた拓植庄一が昭和二十年八月死亡し、その妻が離籍したため、耕作する者がなくなつたので、これも当然原告の家族が耕作するものと判断して自作地と認めて何れも買収計画から除外したもので、決して原告自身が耕作して居たから自作地としたのではない。従つてこの取扱には聊かも矛盾があるものではない。

(三)については、原告主張の別紙目録1乃至4の農地が原告の住居の家敷続きであること及び右以外の小作地等について原告の不在中小作料取立てその他について木下茂に管理を委任して置いたことは認めるが、右1乃至4の農地を木下茂に管理の意味で耕作させて置き、従つて原告の自作地と変りがないものであるとの主張は否認する。右農地中2及び3は木下茂が大正五年原告の父房一郎から、1及び4は同じく昭和十年原告から夫々賃借し、爾来引続いて今日に至るまで耕作を継続して居るもので、小作料も毎年支払つて来た。尤も右3の半分三畝二十二歩は、昭和二十一年十月原告は木下茂より強制的に取上げて今日まで耕作を継続して来たもので、それは小作地の不法取上げである。即ち右農地は木下茂が賃借して居る小作地であり、仮令管理の外形を取つて居るとしてもそれは仮装自作地である。のみならず原告自身昭和二十二年十一月十日附自作農創設特別措置法第七条第一項による異議申立書(乙第四号証)中、右農地が小作地である旨を記載して居るところである。又原告は昭和三年以来木下茂に管理料を支払つて居たと主張するが、木下茂が受領して居た管理料は原告所有の山林及び木下茂以外の小作人に貸して居た小作地の小作米の取立て処分等一切の管理に対する世話料としてであつて、この受領の事実からは、何等木下茂の耕作地が小作地ではないとの理由は出て来ない。自転車の件についても同様である。(これは二台ではなく、当初一台届けられたのが破損して全然使用出来ないものであつたので、之を返品し、別の一台と取替えて貰つたものである。)尚茂の長男の商業学校学資の件は否認すると述べ、

更に原告は現在東京都の旧住居地に立派な居宅を所有して居り、且目下信州大学教育学部講師として在職し、十一級三号俸の給与を受け、本件土地の耕作によつて生計を維持しなければならぬ理由はない。又本件土地以外に原告は二反八畝歩の畑を耕作して居り、原告の家族構成から見て此れ以上の耕作は不可能である。

以上何れの理由よりするも本件農地買収計画及び之に基く買収令書は適法正当なもので、何等之等を無効とすべき理由がないと陳述した。(立証省略)

三、理  由

先ず被告本郷村農地委員会、長野県農地委員会及び長野県知事の本案前の抗弁について検討して見ると、被告本郷村農地委員会及び長野県知事に対する関係に於ては、本件訴はこれ等の為した農地買収に関する行政処分の効力を争い処分自体の無効であることの確認を求めて居るもので、行政事件訴訟特例法第一条に所謂公法上の権利関係に関する訴訟に外ならないものと謂うべきであるが、この種の行政処分無効確認の訴訟は当該行政処分の違法を攻撃してその効力を争うものであり、その処分の取消を求める前記特例法に規定する所謂抗告訴訟とは頗る類似の性格を有するもので、殊に同法第三条が抗告訴訟について裁判の迅速と適正を期そうとする趣旨から処分庁に形式的当事者能力を認めた法意を考え合せると、本訴のような行政処分の無効確認訴訟に同条を類推適用して国ばかりでなく当該処分庁をも被告とすることは敢えて咎むべきでないと解するを相当とする。

而して被告長野県農地委員会は本件訴の目的たる行政処分(買収計画又は買収令書発行)を為した者ではないが、村農地委員会の為した買収計画に対して、県農地委員会の承認があつて始めてそれが有効に確定されこれによつて県知事の買収令書発付となる筋合であるから本訴のような買収計画乃至は買収処分の無効なることはこの計画の承認をなした県農地委員会にも直に影響することであつて、県農地委員会はこれら処分の無効なることを即時確定すべき利益を有する相手方ともなり得る立場にあると謂わなければならない。固より県農地委員会を相手方としなくても本件のような無効確認の訴訟を求めるのに差支えとてないのであるが、苟くも相手方となした以上は被告等の抗弁するような理由でこれを排斥するのは穏当でない。要するに本件確認訴訟に於て直接被告国を相手方と為すの外、之と利害関係を同じうし同じ立場にある被告長野県知事、被告長野県農地委員会及び被告本郷村農地委員会を相手方として之を提起し得るものと謂わなければならない。従つて前記被告等の抗弁は採用しない。

次に本案について按ずると、その主なる争点は次の三個であるから以下順次その当否を検討すると、

(一)  本件農地買収手続が形式的に適法に行われたか否かの点については、本件農地買収が昭和二十年十一月二十三日現在に於ける不在地主の小作地として買収されたものであることは当時者間に争いなく、依つてこゝでは爾後の買収手続が形式的に適法に行われたものであるかについて考究すると、成立に争いのない乙第一、第二、第四、第八号証、第十乃至第十五号証、証人秋山平八郎の証言並びに原告本人訊問の結果を綜合すれば、本件買収については、被告等主張の如く被告本郷村農地委員会が昭和二十二年十月被告所有の他の小作地と共に買収計画を樹立し、公告、縦覧等を経て適法に行い、之に対して原告より法定期間内に異議申立があり、同被告委員会は之が一部認容の決定を為して原告に通知し、其の後原告は之に対して別段訴願の提起を為さなかつたので、同年十二月二日被告県農地委員会の承認を受け、斯くして同日附を以て被告長野県知事の買収令書が発行されたもので、以上の手続は少なくとも形式的には適法に行われたことを確認し得る。原告はその主張の県報号外の記載を楯に取つて、本件買収に於て正規の買収計画もなく、公告も縦覧も、更に令書の送達もなかつたと主張するが、この様なことは前記認定の如く全く認め難く、右県報号外の登載は被告等主張の如く単に其の後の事務上の手違いによるものであることを明認し得るから、この公告によつて正式に確定した農地買収手続の効力が左右される筈がなく、結局原告のこの点に関する主張は採用出来ない。

(二)  昭和二十年十一月二十三日現在原告が不在地主であつたか否かの点については、成立に争のない乙第三、第七、第八、第十一、第十二号証、証人吉田保明、保刈金作、木下茂、秋山平八郎の各証言を綜合すれば、原告の母は昭和十九年頃既に本郷村に帰つて若干の農地も耕作して居たことは認め得るが、原告自身は時々本郷村に往復したことはあるとしても、主たる生活の本拠としては少なくとも昭和二十年十月二十三日当時は東京都三鷹市の原告所有の住宅に妻子と共に居住して居たものと認める外はなく、これに反する証人原儀藤太、西原芳春、木下ハク、木下質の各証言並びに原告本人訊問の結果は措信し難い。原告は昭和二十二年二月に行われた農地調査表(甲第三号証、乙第六号証)に、六筆の畑について昭和二十年十一月二十三日当時に於ける原告の自作地なる旨の記載があるとの事を以て、右被告本郷村農地委員会が当時の原告の自作を認めたもので、畢竟原告が在村して居たことを認めたことに外ならないと主張するが、これも総て被告等主張の通り右は原告自身の自作でなく原告の母の自作地其の他を特に原告の自作と看做したものに過ぎないと認められる。従つて原告の在村地主であるとの主張も亦採用し難い。

(三)  本件農地中、別紙目録1乃至4の土地が原告の自作地であるか小作地であるかの点については、成立に争いのない甲第三、第五号証、乙第四乃至第六、第十一号証、証人吉田保明、保刈金作、木下茂の各証言を綜合すれば、この点も被告等主張の通りの理由により右農地は木下茂の小作地と認められ、原告主張の如くこれだけ特に木下茂の管理する原告の自作地であるとの主張は容認し難い。殊に右農地の中3の半分を現在原告が耕作して居るのは、被告等主張の通り正しく不法取上げによるものと認めるの外はない。原告は木下茂が記帳した金銭出納簿二冊(甲第一、二号証)中に、同人が原告より管理料を受領して居る記載のあるのを援用したり、又木下茂に管理用の自転車を与えた等のことを以て自己の主張を維持しようとするが、成程右管理料の支払いや自転車の給与の事実は認め得るところではあるが、之等の事実から右木下茂の耕作地が小作地でないとの結論が直ちに導き出し得ないことは被告等主張の通りである。のみならず、成立に争いのない前記甲第一号証中は昭和十九年八月二十六日、木下年貢八俵百円、昭和二十年八月二十五日、木下畑年貢百四十円等の記載があることは却つて本件農地が木下茂の賃借して居た小作地であると認めしめるに足るものである。

以上の如く原告主張の(一)乃至(三)の総ての理由を以てしても本件農地買収に関する処分を違法無効とすることは出来ないし、原告提出の如何なる立証方法を以てしても右認定を左右し得ない。従つて本件買収計画並びに之を前提とする買収令書の発布による処分の無効確認を求める原告の本訴請求はその他の争点に対する判断を俟つまでもなく失当と謂わなければならない。

仍て原告の本訴請求は之を棄却すべきであり、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 草間英一 市原忠厚 高津環)

(目録省略)

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